この一年付き合い続けた言葉

  • 2018年は「大事」という言葉と付き合い続けた一年だった。
  • ぼくが「大事」という言葉を思うとき、それは、鈴木敏夫さんの声とともにある。
    • 脳内で「大事」という言葉が流れるときは、鈴木さんのアノ、腹のキマった声で「大事(ダ・イ・ジ)」が再生される。
    • 夫婦で鈴木さんと会っていて、好き嫌いの話をしていたときに、「夫婦関係は惚れた腫れたじゃない。いかに、大事か。それに尽きるよ」と言われたときの、あの声がずっとぼくの身体に残っている。
  • 自分にとって「大事」というのは何かというと、「その人のことを考えてしまう」ということだし、「その人へ自分を届けたい」ということだ。
    • 2017年の暮れ、ぼくは日テレの仕事が終わったあと、湯治場で逗留していた。ガンバった疲れを癒そうという狙いとは別に、いま一度、じっくりと自分の心と、身体の輪郭線を捉えてみたい、という思いがあった。
    • 逗留しているときに、ぼくの心に浮かんだ人は、まずは、弥恵と、ぽこ(うちのウサギ)だった。大事だと思った。
    • そして、鈴木敏夫ファミリー、稲葉ほたて、真利子哲也、米津玄師、のことが浮かんだ。大事だと思ったし、彼らと会ったときに「ちゃんと生きている」と自分のことを思えるように生きようと思った。
  • 湯治場だったり、普段とは全く違う天地へ行くと、自分の感情が色濃く見える。
    • だから、東京を離れて京都へ移住することも、「それがいい」と夫婦で話せたし。大事なことから目をそらさなかった。
    • ひとまず仕事は横に置いといて移住を決めたので、不安がなかったといえば嘘になるけれど、不思議と「大丈夫だろう」と心の底から思っていた。それは、腹のキマった生き方をスタートしたからだった。
  • 1月の正月には鈴木敏夫ファミリーへ「京都移住」を話した。移住のことは驚かせたし、悲しませた。ぼくら夫婦は「私たちにとって、あなたたちは、本当に大事なんです」ということをちゃんと伝わるように頑張った。それを伝えたかった。
  • 2月には米津さんがジブリに来た。弥恵の取材後にぼくも合流して、宮崎駿監督と米津玄師が話す瞬間も目撃した。数日後、真利子さん、米津さんと夫婦で会った。ぼくにとって、真利子さんと米津さんは、弥恵ととても似た匂いがする人で、彼らのことを考えていると、弥恵のことが分かったりする。
  • 3月には稲葉ほたてと話して、京都へ移住してからも、ゲームマガジンの仕事を続けることを決意した。それはひとえに、稲葉ほたてがいて、ほたてが大事と思う作家たちがいるからだった。
  • 4月には大事な人を失った。高畑勲監督は、ぼくにとって、根本的に大切な人だった。スタジオジブリにいたときに、たまにぼくの席まで来て「なんの本を読んでいるんですか?」と聞いてくる高畑さんとの会話が、いつもスリリングで、怖くて、とびきり楽しかった。ぼくはそれまでの人生を根本から考え直すほどに、彼から影響を受けた。
    • 高畑さんが亡くなったことは、朝のLINEニュースだった。起きて、目に飛び込んだ途端、身体からよく分からない声が暴れだして、机につっぷした。「大事」な人だった、と思った。
  • 5月には鈴木さんの仕事を手伝った。それは、数年前にジブリにいたときにぼくがやり残した仕事でもあって、楽しかった。その晩、鈴木さんと2人で長く話している中で、米津玄師さんのことを話した。「ぼくと弥恵にとって、大事な人です」と。
  • 6月にはトントン拍子で、鈴木さんと米津さんのラジオ収録に夫婦で参加した。ぼくら夫婦にとっては、大事な人同士が出会う大事な場所で、だからこそ最高の時間にしたいと思っていた。深夜まで話し込んだ。
  • 7月は真利子夫妻の家へ泊まりにいった。彼らとは、京都へ移住してから、また色濃く付き合いが深まっている。真利子家は春に京都へ泊まりに来てくれた。そのとき、弥恵の生まれ故郷の「天川村」へ一緒に行った。隣で緊張している弥恵のことが忘れられない。歩いていた真利子夫妻がふと目を留めた木は、弥恵が一番大事にしている場所だった。その後の、弥恵の泣きそうで嬉しい顔も。
  • 8月からは稲葉ほたてとの時間だった。毎朝毎晩のように2人で頭を使って、仕事を進めていった。そのとき、常にあったのは作家たちのことだった。9月後半にぼくは、彼らと出会うことになる。
  • 9月はハワイ島で生活をしながら、仕事もしていた。弥恵が持つテーマを、自分ごとにできた時間と空間だった。ハワイ島から戻ってからは、東京での出張と同時に、京都スタジオの設立も行った。それは、大事なことを考えていった結果だった。また、鈴木さんへ9年ぶりにインタビューをして記事を書いた。
  • 10月は真利子夫妻のもとに子どもが誕生。生後5日目で彼と出会った。何か神々しくて、不思議と涙が溢れてきた。また、鈴木ファミリーとともに、夫婦で米津玄師さんのライブへ。ぼくは、米津ファンというよりも、米津オタクなんだけれど、作品だけではなく米津さん本人のことが自分にとって大事。鈴木さんが「俺、不思議なんだけど、彼と話していると、年の差を感じないんだよね」と言っていたのは、ぼくも同じだ。
  • こうやって2018年を振り返っていると、公私ともに、とても限定的な人たちとの濃い時間を送っていたことに気付く。そしてそれは、年始に神社で手を合わせたときに、自分が望んだものだったことにも。
  • 「大事」とともに生きた一年でした。