幸運ばかりが続いてフラフラしていた人のお話

 アニメーション会社を出てテレビ局へ入社し、4ヶ月が経ちました。


 中学・高校とネットにハマり、少し大人になってからブログを書きまくってmixiに夢中になって、大学4年生のときにはてなでアルバイトをさせてもらって。はてなはあのネット上の空気がそのまま会社の中にもあって、すんなりと社会と接点を持てました。あの頃、はてなに出会えて、本当に良かった。総務として働きながら、ライターもさせてもらって。ただ、いい機会をもらったのに、自分の書きたい記事ってなんだろう、ってのが分からずにその日暮らしをしていました。


 はてなの次はアニメ会社のプロデューサーに拾ってもらいました。映像プロデュースのやり方をそばで見ながら、個人としては雑誌の制作をするという、二足のわらじを履いているような仕事場でした。そのプロデューサーが編集者出身だったので、「自分がやっている作業は、いずれああいう応用を効かせられるんだなぁ」と<映像プロデュース>と<本の編集>を比較しながら、学べました。ただ、そのプロデューサーに好かれたいという気持ちが先走ってしまい、うまく振る舞えないことが多かったです。どうして自分はこうなんだろうなぁ、もっといい仕事をして見せたいのになぁ、と焦りと不安ばかりが積み重なっていました。


 そんなときに誘ってもらったのが、プライベートでの活動「ねとぽよ」でした。ねとぽよのメンバーはキャラ・経験・立場がぜんぜん違う人が集まっていて、そこでのクローズドなSNS上のやり取りはいつも刺激的です。ねとぽよの人たちに、自分の失敗に基づいた経験を伝えることで、自分が今やるべきことをいつも探っていました。ねとぽよがうまくいくと、本業でもうまくいく、そんな循環ができました。ついつい私がねとぽよを語るときに、「ほら、ねとぽよってすごいでしょ!」と強気に語りがちなのは、ねとぽよがたまらなく大切だからです。早くみんなにもねとぽよに気づいてよ、と思って早1年が経ってしまったので、最近は謙虚にプレゼンをしていますが。ただ、「気づいてよ!」と大声で叫びたい気持ちは変わりません。


 アニメ会社での2年半の編集経験ののち、いまはテレビ局でプロデューサー補佐(AP)をやっています。たくさん色んな失敗をしてきて、もちろん今でも失敗することばかりなんですけれど、自分の仕事の仕方みたいなものも出来始めました。テレビ局では新米のAPとして働き、ねとぽよでは若い子たちに大人として接しながら、その不思議な塩梅を楽しんでいます。自分がまさか教育をする側に回るなんて。若い子たちにしっかりと道筋を伝えられるように、もっと頑張らないとな、と思っています。


 今までの人生は特にプランもなく、そのときそのときの自分のスキルとやりたいことと、それを面白がってくれる人との縁で、首の皮一枚のところで繋がっていました。幸運ばかりが続き、人に恵まれていたなぁ、と心底思います。
 最近になって、ようやく考え始めたことがあります。自分の大事な人たちを守るために計画を練ろう、と。