【年越し】この10年間について〜1986年生まれの私の20代

およそ10年、どう生きてきたか

  1. 1986年生まれの自分は、今年2016年が最後の20代であった。”20代”とはなんと甘美な響きだったろう。
  2. 年越しでは、多くの人がやるように、前年を振り返って翌年について新たに心と身体と頭を整理する。ついでに、今年は20代のおよそ10年間についてもメモしよう、と考えた。
  3. 20歳になったのが2006年なので、2006年から今年までを振り返る。果たして、自分という人間はどう出来上がってきているか?

1986年生まれ

  1. 出生数は138万人くらい(c.f.1948年は268万人/1973年は209万人/1994年は123万人/2015年は100万人)
  2. 86年生まれといえば、沢尻エリカ上野樹里、杏、ハライチ澤部、松浦亜弥スザンヌ本田△ダルビッシュ、(テニスの)ナダルトレンディエンジェルたかし、など。
  3. 私は両親が26歳のときの子どもで、私の両親はともに1960年生まれ(出生数は160万人)。
  4. サラリーマンの父の仕事で転勤を数回繰り返した。一人っ子で、3人家族。小学時代は父の単身赴任で、母との二人暮らしが長かった。
  5. 0歳〜5歳を佐賀県で過ごす(1986年〜1991年)、6歳〜12歳を長野県松本市で過ごす(1992年〜1998年)、13歳〜19歳を京都で過ごす(1999年〜2005年)。
  6. 1994年(8歳、小学2年生)、オウム真理教による松本サリン事件の際、近くの社宅で暮らしていた。近所の人たちが「あの河野さんがねぇ…」と最初話していたことを覚えている。また、我が家にも警察による事情聴取があった。事件当夜、母と私はウィンブルドンをTVで見ていた。風向きが違えば死んでいた、と後に知った。父は深夜、事件後のビルの横を通って「なんかあったらしい」と思いながら帰宅していた(このとき、父・母は34歳)。
  7. 1995年(9歳、小学3年生)、阪神淡路大震災。自分の小学校へ、親戚を頼って避難してきた同級生がいた。初めてのカラオケはTRF「BOY MEETS GIRL」。銭湯で週刊少年「チャンピオン」を読み始める。
  8. 1997年(11歳、小学5年生)、酒鬼薔薇聖斗。その影響か、自分の小学校の校門に動物の死骸が置かれることが頻出。映画「もののけ姫」公開、「もののけ姫はこうして生まれた。」TV放送。エヴァ再放送で見る。
  9. 1998年(12歳、小学6年生)、長野オリンピック。開会式などを見に行く。宇多田ヒカル「Automatic」、hideの死、iモード
  10. 1999年(13歳、中学1年生)、ハリー・ポッター、映画「マトリックス」公開。9月に転校し、転校先の京都の学校で先輩からイジメに合う。2chと出会う。マリみてSS漁る。
  11. 2000年(14歳、中学2年生)、小説『バトルロワイヤル』をクラスで回し読み。ネオむぎ茶事件、加藤の乱
  12. 2001年(15歳、中学3年生)、受験勉強、小泉純一郎。ブッシュJr.、9.11同時多発テロ。K1マーク・ハントVSジェロム・レ・バンナ。受験で「千と千尋の神隠し」を映画館で観ず。
  13. 2003年(17歳、高校2年生)、Winnyラグナロクボンバーマンオンライン。M1笑い飯奈良県立歴史民俗博物館」。
  14. 2005年(19歳、大学1回生)、YouTube。これまでの人生で見たかった映像を漁り、過去の映像を掘る。B・N・F。

2006年〜20歳〜

  1. ライブドア事件トリノ五輪BSE問題、Wii、「デスノート」、「涼宮ハルヒの憂鬱」。
  2. 私は大学2回生。日本法制史法哲学など勉強していた。変わらずYouTubeはひたすらに観ていた。サークルの先輩づてに、ミクシィを使い始めた。日記を書きまくる。ウェブ自体への興味はなかったが、いつの間にかミクシィで接していた。
  3. 京都にいて、社会との接点を持たなかった。京都は学生さんと老人に良くできた街で、現実社会をほとんど見ないで済む。たまに直面するときは、割りとアウトローな話が多い。京都の人はすべからく、とは思わないが、自分の場合は、中学のときから(「パッチギ!」の舞台の辺りに住んだゆえ)、フィクション度の高い環境で生きていたように思う。そんな自分に、ミクシィはとてもフィットした。

2007年〜21歳〜

  1. パケット定額、陣内&藤原紀香結婚(関西として一番大きな話題はこれだったろう)、初音ミク発売、エンタの神様
  2. 大学3回生。国際政治や公共性論を勉強していた。バイト先の友人と車で旅行したときに、友人がかけた音楽「エアーマンが倒せない」「やらないか」などでニコニコ動画と出会う。また、ブログはyaplogなどでやっていたが、梅田望夫ウェブ進化論」を読んではてなダイアリーに。
  3. 就職活動を考える時期になったが、正直、まったく分からなかった。特にやりたいこともなく、周りがみんな大学に残っていたので、大学に残れるほど勉強していないからどうしよう、と思っていた。が、留年している先輩がほとんどだったので、まあいいや、とも思っていた。が、どうにか生きなければいけない…と思いビジネス書に手を伸ばし始めた。その流れで「ウェブ進化論」に出会う。つまり、ウェブの文脈が自分にはなく、ビジネス新書文脈での出会いだった。

2008年〜22歳〜

  1. iPhone3G、北京五輪フレッツ光橋下徹
  2. 大学4回生。大学にほとんど行かず。はてなでアルバイトがスタート。生きてきた世界が違うので、毎日面食らってた。やっていた仕事は総務で、裏方の仕事というものに出会った。また、ライターとして半年くらい書いた。
  3. 自分にとっては、完全に「はてなイヤー」。初めて”社会”と接したのが、2008年の”はてな”だった。ベンチャーならではの超スピードと、身軽さがあった。もともと自分は常識が足りず、はてなでの仕事を通して学ぼうとしていた。そこで働いていた人たちの生き方や考え方に大きな影響を受けた。また、長い付き合いとなる友人とも出会った。私の20代がスタートした感がある。

2009年〜23歳〜

  1. 政権交代、草食男子、森繁久彌死去。
  2. 大学5回生。見事に留年し、半年間だけ大学へ通った。また、スイッチオンプロジェクトに参加し、スタジオジブリ鈴木Pへインタビューをして、その後、ジブリでアルバイトをすることになる。
  3. はてな、スイッチオン、ジブリ、と自分にとってきっかけになることがたくさんあった。とは別に、先輩たちとコミュニティを作って、活動をしていた。そこでの知見が、自分の人生に彩りを与えてくれた。たとえば、宇野常寛ゼロ年代の想像力」を教えてもらって読んで感動し、ジブリで最初にした仕事は「赤毛のアン」特集で宇野さんに原稿を書いてもらうことだった。

2010年〜24歳〜

  1. はやぶさ帰還、iPadニコニコ大会議アバター、「借りぐらしのアリエッティ」。
  2. ジブリ1年目。アルバイトから社員となり、出版部という部署で働きつつ、ひとりネット事業部的な動き方をしていた。iPad特集をやったり。また、鈴木Pの部屋へ毎日のように通って、古今東西の映画を観ていた。
  3. 鈴木Pから「キミという人間がどうやってできたのか、探究しなさい」と言われていた。そうすると「人と社会のことが分かる」と。その当時はよく分かっていなかったが、最近すごく腑に落ちる。

2011年〜25歳〜

  1. 東日本大震災まどマギ、パワースポット、「コクリコ坂から」。
  2. ジブリ2年目。ジブリでの仕事もあったが、それとは別に、友人たちとノンフィクション雑誌を作ろうと動いた。東日本大震災を経験して、ちゃんと足を使って作るメディアをやらねばマズイ、というのがきっかけだった。震災がテーマのノンフィクション雑誌を作るのはコストがかかりすぎて頓挫した。しかし、友人たちが「自分たちの身の回りで、足を使ってノンフィクションをやるとしたら・・・」と、ねとぽよが始まった。会社以外の時間はねとぽよに使って、2011年末に第1号が刊行された。
  3. 自分の人生として、はてなジブリ、という嫌でもネットを意識せざるを得ない生き方をしていたが、ねとぽよという形でそれが極まった。5年前の今ごろは、第1号を作り終えて(電子書籍なので発売当日朝まで勝負できた)、コミケに行かず爆睡していた。

2012年〜26歳〜

  1. ロンドン五輪、LINE、ソシャゲ、ニコニコ超会議、「桐島、部活やめるってよ。」。
  2. ジブリ3年目。ジブリでの仕事はありつつ、相変わらず、ねとぽよをやっていた。ねとぽよ2号は「ARG」を特集していて、非常に自分好みだった。いくつかの理解があるが、私は現実世界は物語によって書き換えられる、ということに興奮をした。ネット小説「無料公開!「オナホ男」| ねとぽよ」は名作だと思う(さすがに今読むとスマホじゃないからしんどいが、PCでは最高)。ねとぽよは、今なら超ヒットしていたと思う、早すぎた。
  3. 裏方以外に、自分でもプレイヤーとして家入明子さんへ取材をして料理を作ってもらったり。いろいろやって、楽しかった。ちなみに、明子さんとの出会いで、のちに妻となる女性とも出会う。

2013年〜27歳〜

  1. 東京五輪招致、「かぐや姫の物語」、出雲伊勢遷宮
  2. 出向1年目。ジブリから某メディア企業へ出向。はてなジブリと、特殊な会社で働いていたせいで、まったく畑違いで、ゼロから学ぶ。
  3. 妻となる女性と付き合う。自分の中で「(妻)」というテーマが生まれる。

2014年〜28歳〜

  1. 御嶽山噴火、笑っていいとも終了、STAP細胞
  2. 出向2年目。とにかく先輩に付いて仕事をしていた。つまり、2013年と2014年はほぼネットを使っていない。
  3. 結婚1年目。元旦に入籍。日々幸せ。

2015年〜29歳〜

  1. IS、安保、ラグビーW杯、スタジオ地図
  2. 転職1年目。映画のウェブ宣伝を主に担当。そこでおよそ3年ぶりにネットに戻ってきて、最初は「変わったもの」「変わってないもの」の仕分けで忙しかった。2013年までに付き合いのあったネット関係の友人・知人に教えを仰ぎ、どうにか形にした。
  3. 結婚2年目。日々幸せ。フェーズ上がった。

そして、2016年〜最後の20代〜

  1. SMAP解散、ポケモンGO、「君の名は。」、VR、人工知能まとめサイト、トランプ
  2. 転職2年目。映画のプロデューサーとして、より全体を統括。超楽しかった。ウェブについては、仕事ではある程度距離を置いているが、プライベートではこのブログのように、意識的にSNSを使うようにし始めた。ついに、プラットフォームが完全に社会と接続し、いろんな問題が起こっているが、個人的にはとても前向きに捉えている。プラットフォームが成熟したことで、作りたいものや、書きたいことがあるチームや個人が、水を得た魚のように動き回っている。
  3. VRもREZを体験してから一気に興味が湧いた。人工知能もついに日の目を見る段階に来て、勉強してみようと思った。面白くなる期待が膨らんだのが2016年だった。
  4. 多くの人が感じているように、見えない不安も増幅している。それについては、2017年にところどころで良いことも悪いことも噴出する気がしていて、自分の仕事で何かできないか、と思っている。
  5. 結婚3年目。日々幸せ。フェーズ&レベル、上がった。

・・・こんな感じで、その時のことを色々と書いてみると、自分の今がどうなっているのか分かるもんだなぁ、と思った。ネットの移り変わりも追体験できた。2017年の社会と人の方向性の展望も朧気ながら見えてきた。新年のことは、年が明けてから考えようと思う。