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スイッチオンPJ回想ーあなたの世界は何か?

スイッチオンプロジェクト
  1. 学生にたくさん会ったことでエネルギーをもらったが、1日経って、あぁ随分アテられたんだなぁ、と思っている。朝に妻と渋谷の氷川神社へ参って、回転寿司行って、いまカフェにいて本読んで、読み終わったけれど、妻は隣で仕事してるから、一人でぼーっとしてた。かれこれカフェに4時間いる。そしていま、スマホでちまちまこのブログ書いてる。
  2. 自分の過去と、そのとき無視した感情と向き合う羽目になった。藤代さん、永瀧さん、そして20過ぎの元気な学生たちという既視感ある場所に何故か自分がいて、、、自ずとスイッチオンプロジェクトへ帰っていた。
  3. スイッチオンプロジェクトとは2009年の3月から夏にかけて開催されたメディアに携わる人間と、メディアで表現を志す学生との実験プロジェクト。チームを組んで、企画を立てて、取材相手へアポをとり、インタビューをして記事を作る。私ははてなの総務アルバイトの傍ら、はてなブックマークニュースというサイトでライターをしていた経験と、ガ島通信というブログを読んでいたことで応募をし、京都から東京へ遠征して参加した。
  4. 一発目の3月末に合宿があった。AからEまでの班に分けられ、一班あたり学生が5~6人いたと思うから、学生は30人くらいだったか。新聞、テレビ、書籍などのメディア関係者がメンターとして一班に3人ずつ付く。gooニュースのアルバイト学生も一班に一人ずつ付く。そして、全部を統括するのがガ島の藤代さんと、運営学生リーダーの田村。
  5. このプロジェクトで自分はジブリ鈴木敏夫プロデューサーを取材対象に選んだ。はてなでの経験と、人生を振り返って一番自分が興味があるひとって誰なんだろうと考えたときに、浮かび上がったのが鈴木さんだった。試行錯誤しながら取材準備をし、取材をして文字起こしをして記事を書いた。その後、半年後くらいに再びジブリを訪ねてアルバイトが始まり社員になって、ジブリを辞めた今でも鈴木さんとほぼ週に一度会っているので、本当に有難い出会いだった。
  6. 自分が忘れるようにしていた感情というのは、スイッチオンプロジェクトで記事を書き終わり、ジブリでの仕事が本格化するまでの間にあった。その頃、京都での留年生活を終えて、半年で卒業し、上京ニートとなっていた。なんのために東京にいたかというと、スイッチオンプロジェクトの運営側に回ったからだ。
  7. 半年に渡るプロジェクトが終わり、関係者で合宿して今後の方針を決めたのち、新しいプロジェクトが始まった。それはファシリテーターを養成し、実際にファシリテーションをする、というものだった。2009年の10月に初めてファシリテーションという言葉を知って、11月に仙台の3時間の学生向けライティングワークショップでファシリテーターをやる。運営のなかで、二人の女の子が選ばれ、自分はそれをまとめる役となった。ワークショップは無事に行われた。
  8. そして、2009年の年の瀬に、ガ島藤代さんとR30さんにファシリテーションチームの我々3人が祝福され、銀座でフグをご馳走になる。ご馳走になってひとしきりしたところで、「佐藤(私)が今度はやる番だ」となった。それが私がずっと忘れていた過去である。浜松で行われる社会人向けのワークショップでファシリテーターをやる、というものだった。
  9. 私は自分ならできる、と思っていた。女の子二人のファシリテーションを面倒見ることをずっとやってきて、やり方は分かっている。しかし、いざ自分がプレイヤーとなって準備をし始めると、全く話を広げられず、自分の思考も止まってしまった。R30さんや、ファシリテーターの女の子によく相談にのってもらったが、できない理由が分からず、自分を責め、どうにも前に進めず、心が弱くなり、ポキッと折れた。本番は、代わりのファシリテーターとして、チームの女の子が担当してくれた。本番のその様子を見ながら、一体なんなんだろう、と思いつつ、プライドをどうにか持続させようと必死だった。
  10. 私はジブリのアルバイトを本格化することになる。それが自己防衛であることは分かっていたが、とにかく逃げた。生きるために。
  11. ・・・そんなことがあったのだ。昨日、藤代さんと、合宿のメンターだった永瀧さんと、キャラの濃い学生たちの中に入って、自分の心の違和感を感じ、今日の昼間向き合っていた。7年ぶりに向き合った。
  12. なんでできなかったのか、今では理由が分かる。自分の"世界"がなかったから、だ。
  13. あのワークショップのファシリテーションは、人から引き出して、ある方向へ持っていく行為。そこには雑誌における編集長のような、映画におけるプロデューサーのような、目に見えないディレクションが必要だったのだと思う。メディアに従事する人たちは、意識的に、人によっては無意識に、それを鍛えている。それは、たとえば「あなたにとって好きな人はどんなひと?」「あなたにとって嫌いな人はどんなひと?」「あなたにとって良いニュースとは?嫌なニュースとは?」という質問で湧き出てくるような"自分の感情"の在り処を知る必要があったのだ。
  14. 実際に、R30さんはあのとき、「佐藤が最近読んだ記事で心に残ったのは何?」と問いかけてくれた。そうして、自分の"感情が動くポイント=自分が持つ世界"を分からせようとしてくれていた。ただ、私はそこに意識的にならず、感情に蓋をして、より方法論にこだわり、一層深みにハマっていった。
  15. 自分で気付きを得ないと、前に進めない。ファシリテーション以前の、2009年3月末、あの合宿のときに、簡単に鈴木敏夫を見つけず、もっと自分の世界を知るべきだった。そのときの自分の心を根底から動かしたい。
  16. あなたの世界を見つけよう。そのためには、自分が愉快になるものと、不愉快になるものを知ろう。そして、その理由をとことん考えよう。そうすると、あなたの感情が動くポイントが分かる。それがあなたの世界だし、あなたの美学。そうすると、外の世界と人と向き合える。

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画像、仙台キャラバンフォルダーから。人の顔が映ってないやつ、これしかなかった!